「旬」ということは良い面も悪い面もあると思う。季節感を感じる一方、いつでも楽しめる事が出来ない。たとえば、四月の旬はタケノコで、この時期のタケノコご飯はまた絶品やな。けど、八月にタケノコご飯を食べたくなったら、どこに行っても食べれません。いいんじゃない?その方がもっともっと「今」というものを大切するようになるんでしょうと時々考える。
ただ、たまにも困る事がある。近頃の台湾デモ運動シンボルーーひまわり(造花)を大量購入しようとしたら、100均だけじゃなく、ホームセンター、手芸屋さん、どこでも置いてない。「それは夏の花なので、今はまだ店には置いてない。」と店側はよくそう答えてくれた。ネットで探しても、安くて大量に手に入れる事がなかなかできない。
日本の「旬」ということは、深いな。
「當季」這件事情有好有壞,體驗季節感的同時,卻無法隨時享受,比方說四月的當季是竹筍,這時節的竹筍飯真是十分美味,但八月若想吃竹筍飯、哪裡都沒得嚐,「也不錯啊,如此一來大家就會更珍惜『現在』吧。」我有時是這麼想的。
不過,偶而還是會讓人覺得困擾,最近想要大量購入台灣抗議活動的象徵——太陽花(人造花)時,不單單只有百元商店,連量販中心或手工藝品店都沒有,「那是夏天的花,所以現在店裡沒有販賣喔。」店家總是這麼回答我,即使上網找,也無法便宜並大量購買。
日本所謂「當季」這件事情,還真是深奧啊。